花岡文学の世界とその足跡の展示と講演会

今回のイベントのトップが花岡文学を紹介する展示と講演会でした。
スタッフ一同、どれだけの方が集まってくれるか不安でしたが、ご覧のように100名を越える方が集まり、会場は超満員となりました。

講演会は、花岡大学という童話作家を顕彰し、交流の深かった同じ童話作家の川村たかし先生を招いて行いました。
川村たかし先生は、奈良県出身で、梅花女子大学の教授を退官された後、現在奈良県五條市にお住まいです。平成13年度には紫綬褒章を受賞され、現在日本児童文芸家協会の会長でおられます。代表作には、「新十津川物語」、「北へ行く旅人たち」、「川に立つ城」などがあります。

講演会は「我が師、花岡大学先生」と題して行われ、花岡大学さんとの出会いから、その後の花岡大学さんの活動に至るまで、様々なエピソードが紹介され、また、そのエピソードを通じて、花岡大学さんの児童文学に対する考え方などもご紹介されました。また、花岡大学さんらと発行された、非常に綺麗な同人誌の現物もお持ちくださいました。

講演内容


川村先生と花岡大学さんの出会いは、昭和34年にさかのぼります。花岡大学さんが大淀高校の先生をなされていた頃、ある高校の先生の提案で、児童文学に関する雑誌を作るという話が持ち上がり、その指導を花岡大学さんにお願いしよう、というのがきっかけでした。偶然にもこのイベントと同じ、昭和34年の11月3日に、大淀高校の教室で雑誌作りの初めての会合が行われ、12、3人の人が集まって花岡大学さんに原稿を朗読し披露しました。それを聴いた花岡大学さんの「こらいけるやないか」という声により、「近畿児童文学」という雑誌が創刊され、川村先生が編集長を担当されて、30年にわたり計30号が発行されました。

「近畿児童文学」の後、花岡大学さんは「幼年技術」、「まゆーら」(孔雀を表す言葉だそうです)という同人誌を主宰されました。これらの同人誌は、絵本のように綺麗な同人誌で、現在でも珍しいほど凝った仕上がりとなっています。特に絵に対するこだわりが強く、絵描きさんが持ってきたものを何度もつき返しておられたほどでした。

花岡大学さんの児童文学の原点はもちろん吉野ですが、その吉野の方言があまり使われておらず、むしろ自分で作った方言のようなものがあったりします。例えば、「うちのおばあはどすこいおあばで、でっくらでっくら歩く」という表現では、「どすこい」というのは吉野ではなく河内の方言の「でっぷら太った」という意味であり、「でっくら」というのは自分で作られた方言に思えます。こういった表現は、花岡文学における楽天性を描きだしていました。この楽天性は、花岡大学さん自身ののんびりとした人の良さからくるものであり、その人間性にひかれて弟子になりたい人が集まっていましたが、花岡大学さんは弟子をとらないと宣言しておられました。しかし、自称「弟子」たちは、数多くおられ、今でも年に2回ほど集まって「花岡先生を偲ぶ会」を開いています。そんな中で、川村先生は花岡大学さんのお弟子さんと見られているそうで、実際誰かが花岡大学さんに対して川村先生のことを「いいお弟子さんが育って良かったですね」と言ったところ、花岡大学さんはそれを否定することなく、「ほう、ほう、ほう」と笑っていたということもありました。

花岡大学さんの児童文学へのこだわりは、日本の児童文学に対して大きな影響を与え、大切な存在となりました。川村先生自身も、児童文学というのは文学の中では二流品だと考えていたそうですが、花岡文学を知って、それが間違いだと気付かれたそうです。花岡文学という児童文学は、「すがすがしい美しさを持った、ふっくらとした暖かい文学」なのです。

また、花岡大学さんは、たくましい宗教精神、慈悲の心、仏の心を大切にするという信念を持たれていました。子供を軽く見てはいけない、手抜きをしてはいけないと考えをもち、子供の自我を育てられるような文学を目指しておられました。さらに、音やにおいを文章であらわすということにもこだわり、何よりも文学の本質である感動が背景にあるということを大切にしておられました。こういった信念から、「仏典童話」という新しい童話のジャンルを作り出されました。この仏典童話の挿絵は、軍隊時代からの知り合いである東大寺の清水公照師が描いておられます。花岡大学さんが仏の心、慈悲の心を大切にしたというのは、「本が出ると、ほとけさんの前へ持っていき、親鸞さんに報告させてもらう」というエピソードにもあらわれています。

展示内容

膨大な自筆原稿や、戦地から送られた葉書などが展示されました。また、自画像や尊父の肖像画、墨絵など、花岡大学さんが描かれた絵もたくさん展示されました。さらに、花岡大学さんが実際に使用されていた文房具なども、執筆活動をなされた机の様子を再現して展示されました。

また、有名な方々の書も展示されました。東大寺の清水公照師による佐名伝にある「花岡大学童話碑」の門標の原文、京都百華苑から発刊された「花ぬすっと」の表紙の原画、これはまだ無名であった棟方志功の作品です。また、「花ぬすっと」を通じて花岡文学と出会い、その後長いつきあいのあった司馬遼太郎さんとの葉書や書簡も数多く展示されました。

次は、歴史探索グループによる佐名伝の歴史についての研究発表です。さぁ、こちらへ!




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